番狂わせが面白い☆

予想外の事が起こる日々を楽しんでおります。ゆとり世代共働き1児(0歳)の母です。主に育児の記録、たまに趣味の宝塚感想など。

雪組壬生義士伝 舞台化されなかった原作エピソード、 細かすぎて伝わらない伏線

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雪組ロスの皆様
お芝居の流れがどうもしっくりこなかった皆様へ
舞台化されなかった原作エピソード、
細かすぎて伝わらない伏線を語らせていただきます。
どうぞDVDを観返したり、脳内補完をするなどしてお楽しみください。

感想記事はこちら

貫一郎のお給料

南武盛岡にいた頃の禄(お給料)は二駄二人扶持で、年間米俵で十四俵だったそうです。
これの一部を売ってお金に変えたり、家庭菜園で野菜を作ったりして一家四人かつかつの生活でした。

それが新撰組に入ってしばらくしてから幕臣に取り立てられた際には四十俵と約三倍になったわけです。
そりゃあ喜びますよね。

ただ嘉一郎が近所の人(?)から巻き上げられていたところを見ると、残された家族がお腹いっぱい食べられたのかは怪しいですが...

斎藤一の左利きと貫一郎の剣客としての目

武士は普通は左腰に刀を差して利き腕の右手で抜きます。
では左腰から右手で刀を抜いて勢いに任せて振り回すと刀はどこへ行くでしょう?
ちょっとジェスチャーしてみてください。
答えは右ですね。
つまり刀を抜いた瞬間に右側にいる相手は斬られる可能性が高い。
相手の左側にいる方が安全なのです。
だから今でも目上の人は左、目下の人は右、というマナーがあるのです。

少々脱線しましたが、これが左右逆転した斎藤の場合はどうなるか。
斎藤の左側にいる人間の方が斬られやすく、右側の方が安全なのです。
しかしながら武士といえどもその事に気がつく者はほとんどおらず、
斎藤が右を歩けば「こいつは俺を目上だと思っているのだな。危害を加えるつもりはないのだ。」と相手は油断します。
そうして相手を油断させ、抜き打ちで斬り伏せる、というのが斎藤の強みの一つであったようです。

しかし、常識に捉われずに右差しの危険性を見抜いた貫一郎は斎藤の右を歩きました。
そして斎藤も貫一郎が自分の右差しを警戒している事、尋常ではない剣客であることに気が付いたのです。
かーらーの一騎打ち決闘のシーン!なのでした。

斎藤と土方の決別

舞台では吉村と関係のないエピソードのためカットされましたが、
原作では吉村が死んだ後の新撰組も描かれています。
その中でも会津で土方と斎藤が挟を分かつシーンはどちらもカッコいい!

斎藤は「新撰組はずっと会津から禄(給料)を頂いてきたのだから会津に残って恩のある会津のために戦うべきだ」
と主張し、土方は
新撰組徳川幕府のために剣を振るってきたのだから最後まで幕府軍として戦うべきだ」
と主張しました。
どちらも筋は通っていますが選べるのはどちらか一つの道のみ。
夜を徹して譲らない主張をした挙句に斎藤は言ってはいけない一言を土方に投げつけます。
「拙者は貴公のごとき俄(にわか)ではない。生まれついての御家人じゃ。もう金輪際貴公の指図は受けぬ。」

実は土方は武士の子ではありません。
武士の子ではないからこそ、生まれついてのの武士よりも強くなり、生まれついての武士よりも手柄を立てて
理不尽な身分社会を覆そうとしてきました。
そんな土方に対して口にしてはならない暴言を投げつけたわけですが、土方は気丈にもこう返します。
「よおし。ならばその俄侍にいってえどれだけのことができるか見せてやろうじゃあねえか。」
そしてその言葉通り、戊辰戦争の最後まで戦い続け、そして戦死しました。

...ていうやり取りを踏まえて彩凪さん主演で土方歳三最期の一日とかやりませんか?
まぁやらないですよね...はい。

土方と嘉一郎の出会い

別れあれば出会いあり(?)
武士らしい死に場所を求めて最期の幕軍として函館へ転戦してきた土方は、
同じように死に場所を求めて函館までやってきた嘉一郎と出会ってしまいます。

死なせたくなかった貫一郎を結局死なせてしまった土方の前に
「死なせてくれ」と言わんばかりの息子が父の遺した刀「安定」を携えて現れるわけです...。

土方本人は「けえんな」と冷たく追い返します。
ですが結局別の侍が嘉一郎を引き入れ、本人の望み通り戦場に散ったのでした。

ちなみに貫一郎が切腹の際に「安定」を使わず、
ぐにゃぐにゃに曲がった刀(舞台上でも本当にぐにゃぐにゃでした)を使ったのは、
血に穢れていない刀を倅に持たせたいという親心でした。
立派な侍になって欲しいが、自分のような人斬りにはなって欲しくない...泣かせます...

貫一郎が官軍に立ち向かった理由-壬生義士伝のテーマ

鳥羽伏見の戦いで、貫一郎が両手に刀を抜いて叫ぶ
新撰組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお務め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす!」
吉村の義士としての全てがこめられたようなこの台詞。
野暮かつ拙筆ながら、その背景をできるだけ噛み砕いて説明してみようと思います。


まず「天皇様に弓引くつもりはあらねども」について。

江戸時代の日本の最高権力者といえば徳川の将軍ですが、
名目上は「天皇が」征夷大将軍に任命しているので、身分は天皇>将軍。
徳川将軍家会津松平家も実はみーんな「勤皇」でした。
新撰組会津藩お抱えのもと、徳川家のために働くと同時に帝のためにも働いていたわけです。
では鳥羽伏見の戦いでは誰と戦っていたのでしょうか。

それは薩摩·長州·土佐·肥後です。
徳川慶喜大政奉還をしたからといって、 武士の世が終わるとは誰も思っていませんでした。
天皇をリーダーとしつつ徳川家や諸大名家が中心となって政治を行うと思われていました。
ところが、薩長は政治の場から徳川家やそれに近しい大名家を排除したかった。

「勝てば官軍」という言葉を一度は耳にしたことがあると思いますが、
戊辰戦争はまさに薩長と徳川とどちらが官軍になれるか、新時代の政権を奪い合う戦だったのでした。
結局はほぼ幕府軍が惨敗しただけでしたが。

新撰組からすれば、3年余り前に御所に向かって発砲し、京都市街に放火しまくった長州と手を結んだ薩摩土佐肥後
長州こそ「朝敵」と「朝敵の仲間」でした。
そんな輩から"我こそは官軍なり!"お前達は賊軍なり!"と言われれば
「勝手なこと言うな」でしょう。
ですが道理が通らないことでも「勝てば官軍」
勝てば通らない道理も通ってしまうわけです。

というわけで「天皇様に弓引くつもりはあらねども」というのは
天皇に敵対するつもりは無いが、
幕府のため、ひいては天皇のために働いてきた新撰組(あと会津藩士)を勝手に賊軍呼ばわりするのは道理が通らないので
薩長土肥を相手に戦う、という意味だと私は解釈しています。


続いて「義のために戦ばせねばなり申さん。」について。

義とは「人として歩むべき正しい道」とされています。
吉村は愚直に人として歩むべき正しい道を歩んできました。
しかし報われることは無かった。
武士として生まれ、真面目に勉学に励み剣術の腕を磨いてきた。
いつか出世し、恋女房のしづに楽な暮らしをさせてやりたかった。
そして文の道でも武の道でも藩の中でトップクラスに有能な藩士になりましたが、出世はできず、俸禄は少なく一家四人生きるか死ぬかギリギリの生活。
当時の東北地方は飢鍾続きで藩の財政は火の車、吉村のように有能な藩士の禄を上げようにも上げられる予算が無かったという事情がありました。


ちなみに幼馴染の大野次郎右衛門も同じような身分の生まれでした。
大野家先代の妾の子として生まれ、寺子屋に通い貫一郎と一緒に遊んで育ったのですが、
大野家の跡取り息子が急逝したため、ある日突然御高知の若様となりました。

現代に喰えるなら、営業ドサ回りを一緒に頑張ってきた同期入社の内の一人がある日突然部長に抜擢、
残された一人も地道に頑張って営業成績を上げていったものの、
いつまで経っても給料は上がらず平社員のまま。
もうすぐ3人目の子供が生まれるのに毎月貯金を切り崩す生活から逃れられない..。
という感じでしょうか。
現代であればそんな会社とっとと辞めて転職すれば?
となるのですが、当時転職にあたる脱藩は重罪でした。

主人に忠義を尽くすのが武士道でありますが、 それでは家族を養っていくことができない。
それは人として歩むべき正しい道なのか?
思い悩んだ挙句吉村は脱藩の道を選びます。

そして入隊した新撰組でもまた、同じような境遇の侍が沢山いました。
生まれが百姓のために幕府公認の剣術師範になれなかった近藤、
武士の生まれでも次男三男のため冷や飯食いだった者など、
行き場の無い侍の寄せ集め集団でした。

自分ではどうすることもできない出自のせいで冷遇されてきた彼らが、
努力相応に報われるためには、とにかく誰もが認める手柄を立てることでした。
その最たるものが池田屋事件

出自によって全てが決まり、
どんなに努力しても報われることのない身分社会の中で
妻子を養うという人として歩むべき当然の道をただ愚直に歩んできた
挙げ句が「賊軍」すなわち「罪人」であるのならば何という理不尽でしょうか。

賊軍呼ばわりされたまま敗北しては、
本当に薩長が官軍、自分は賊軍の罪人となってしまう。
ただただ家族を幸せにするために生きてきただけなのに。
そうした人生の中で立ちはだかってきた全ての「理不尽」に対して、自分は間違っていないと戦いを挑んだわけです。

貫一郎の何が凄いって、
その理不尽が余りに巨大な相手であっても怯まずに立ち向かったことです。

多くの人は大人になればなるほど長いものに巻かれるというか、
おかしい事があってもおかしいと声をあげることができなくなります。

道理が通らない事に「それはおかしいじゃねぇか」と声をあげた人がどこかにいたからこそ、少しづつ社会は良くなって、壬生義士伝の時代のような身分社会はなくなったわけです。


ずらずらと長文を書き連ねましたが、
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございました。

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